湯遊白書〜そこに温泉があるから

ここは天国かい?いや、温泉だよ。日本、アジア、世界の温泉を巡ります。日本、アジア、世界の温泉を巡ります。2017年11月23日、温泉ソムリエ協会認定「温泉ソムリエ」の資格を取得。本ブログの情報は平成29年8月発行の『温泉ソムリエ テキスト』(著者・遠間和広)に基づいています。

日本一の泥湯〜別府、明礬温泉、紺屋地獄、蒸し湯で乱れ、泥湯に溶ける温泉のロマネコンティ

日本一の泥湯〜別府、明礬温泉

2016年の秋、エヴェレストに向かうチベットの標高4200mで泥湯に入った。温泉なんて呼べる代物ではない。泥というよりヘドロ。人生でいちばん気持ち悪かった湯。だから本当に気持ちいい泥湯を体験したかった。その日本一の泥湯が別府にあるという。

明礬温泉までの道程

日本一の泥湯〜別府、明礬温泉

明礬(みょうばん)温泉・紺屋地獄へは、別府駅から立命館アジア太平洋大学行きのバスに乗る。母校・立命館大学の姉妹校だが、まさか別府の山の中にあるとは。なんとも大胆な立地。さすが立命館、かぶき者の発想である。

バスは鉄輪(かんなわ)温泉や地獄めぐりの名所を通過しながら、ゆっくりと高度を上げていく。車窓の景色が次第に変わり、街の喧騒が遠のいていく。山の奥へ奥へと進むにつれ、期待とともに胸が高鳴る。

日本一の泥湯〜別府、明礬温泉、紺屋地獄

一宿の世話になる「別府温泉保養ランド」がある紺屋地獄前で下車すると、すでに空気は硫黄の香りに包まれていた。湯けむりが立ち上り、あたり一面が温泉地ならではの風景を作り出している。

日本一の泥湯〜別府、明礬温泉、紺屋地獄

ふと振り返ると、眼下には別府湾。ここ紺屋地獄は、奈良時代・西暦700年初期に記された『豊後風土記』にも登場する歴史ある地熱地帯。標高400メートル、伽藍岳の中腹に位置し、江戸時代から温泉成分が沈殿してできる「湯の花」や鉱泥が採取されてきた。「明礬(みょうばん)」の名も、まさにこの湯の花に由来している。古くから温泉の恵みとともに生きてきた土地だ。

別府温泉保養ランド

別府温泉保養ランド

「紺屋地獄」という名前が迫力ありすぎるからか、ここでは「別府温泉保養ランド」という名称になっている。しかし、その歴史や雰囲気を考えれば、本来の「紺屋地獄」のほうがしっくりくる。何しろ、日本一の泥湯がここにはあるのだから。ジャッキー・チェンや神田うのも訪れたというほどの名湯。

宿泊は素泊まりで6,500円。高齢のご夫婦が営んでおり、どこか懐かしさを感じる温泉宿だが、跡継ぎはいるのだろうかと、ふと考えてしまう。

明礬うどん/別府

ご主人が高齢のため食事の提供はないが、徒歩7分ほど坂を下ればデイリーヤマザキがあり、5分ほど山を登れば『明礬うどん』がある。『明礬うどん』は、ぜひ食べてほしい一品。温泉で温まったあとに、出汁の効いたうどんをすする贅沢。

明礬温泉・別府温泉保養ランドの温泉分析書

  • 泉質:硫黄泉
  • 泉温:49.7℃
  • 湧出量:測定せず
  • ph値:2.9

おそらく泥湯ではなく、コロイド湯のデータと思われる。泉質は「硫黄泉」だが、泥湯の場合は「酸性泉」とも言える。泉温は49.7℃と高く、42℃以上の「高温泉」に当たる。それだけ成分の濃度が濃い証。ph値は2.9と低く、完全な酸性。刺激が強く殺菌効果などが強い。泊まる部屋は14時半まで準備中というので、先に温泉を頂く。

コロイド湯

画像引用:たびらい

最初に出迎えてくれるのが「コロイド湯」。ハイカラな名前がついているが、硫黄泉のこと。このトップバッターの硫黄泉だけで、すでに別次元の心地よさ。共同湯の別府温泉も素晴らしかったが、ここは同じ県内、同じ地域とは思えない別天地。白濁した湯が光の加減で、映画『ムーンライト』青白く輝く。

まるで別府湾に抱かれていると錯覚。ペロッと飲泉しても特に味はない。ただ、他の温泉とはまるで違う。気持ちよさの質が別格で、様々な旨味が複雑に絡み合った上質なワインのように奥深い。単純に「気持ちいい」だけではなく、何層にも重なった心地よさがある。できることなら、ここだけで何時間でも浸かっていたい。

紺屋地獄では、石鹸やシャンプーの使用は禁止されている。温泉を濁してしまうからだろう。実際に硫黄泉に浸かれば、その理由がすぐに理解できる。ここはただの温泉ではない。五感すべてで味わう、特別な湯なのだ。

蒸し湯

画像引用:湯けむり四季彩紀行

次に向かったのは「蒸し湯」。要するにサウナだが、サウナ嫌いの自分でも何分でも入っていられる、まさに楽園のような空間。

通常のサウナに入ると、小籠包のように蒸されながら、人工的な熱気に息苦しさを感じる。しかし、ここは違う。漂ってくるのは硫黄の果汁100%。濃密でありながら、やさしい湯気が全身を包み込む。なんという心地よさか。「整う」なんて生易しいものではない。むしろ、乱れてナンボ。思考を乱し、体をゆるめ、すべてを解き放つ。それこそが、この蒸し湯の真骨頂なのだ。

画像引用:湯けむり四季彩紀行

「むし湯」の前にある、ぬる湯が楽園のヘブン感を界王拳する。水風呂は一瞬だけ気持ちいいが、長時間つかるのが難しい。しかし、ぬる湯はいくらでも浸かっていられる。いや、このまま漬物になるまで漬かっていられる。

内湯(泥風呂)

画像引用:たびらい

泥湯の内湯は浮力があるが、肝心の泥がパウダー。ぺろっと舐めると酸味がすごい。酸性泉の代名詞。肌の弱い人は刺激が強いだろう。ボディーソープなど洗剤が禁止なのも肌の角質を守るためかもしれない。内湯は4番に送りバントでつなぐ3番バッターのようなもの。早々に露天風呂へ向かう。

露天風呂(泥湯)

画像引用:たびらい

これまで様々な「日本一」や「世界一」に触れてきたが、この泥湯に関しては疑う余地がない。いや、日本一どころか、泥湯のエヴェレスト。世界一と断言してもいい。

究極にして至高。全身が濃厚な泥に包み込まれる感覚は、ブルゴーニュの特級畑に浸かるようなもの。身体ごとテロワールに抱かれ、日本のロマネ・コンティになった気分。まさか、ここまでとは。完全に想像を超えていた。

8年前のチベットのヘドロが美しいセピア色に変わった。ここでは、石鹸やシャンプーは使えない。だから、湯を出ても全身が硫黄の香りに包まれる。温泉そのものが身体に刻み込まれたかのように。温泉タトゥー。とても電車に乗れない。硫黄泉と酸性泉のダブルパンチ。後日談として、帰宅後に服を2度洗濯したが、それでも匂いは取れなかった。まさしく、ポール・ゴーギャンの《かぐわしき大地》。この湯の凄みは、身体だけでなく、時間までも染め上げる。

泊まる2階の部屋でくつろぎながら、夕暮れの訪れを待つ。トイレは共同だが、ウォシュレットが完備され、宿泊者のためにWi-Fiも導入されている。本来ならば、山小屋のような環境でも成立する立地だが、ここでは快適さを追求し、サービス向上に心血を注いでいる。その心意気が伝わるからこそ、この場所がこれからも長く愛され続けてほしいと願わずにはいられない。

17時前になると、温泉へと続く回廊で、ひぐらしと蝉の合唱が響き渡る。心地よい涼しさが肌を撫で、ここが山と海に恵まれた特別な場所であることを実感する。月曜ということもあり、他に観光客の姿はなく、すべての湯を独り占めできる贅沢な時間。

明礬うどんで美味しい食事をいただいたあと、別府駅のファミマで買った紙パックのワインをリーデル・ボヤージュに注ぎ、一息つく。静寂に包まれた夜、湯けむりとともに、ゆっくりと心がほどけていく。

夜の明礬温泉

日本一の泥湯〜別府、明礬温泉、紺屋地獄

夜が更けると、山口百恵の『夢先案内人』が流れてきそうな回廊。硫黄のアロマがゆるやかに漂い、夕暮れに響いていたひぐらしの合唱は、夜蝉の静かな鳴き声へと移り変わっている。

日本一の泥湯〜別府、明礬温泉、紺屋地獄

温泉宿に泊まるなら、やはり一泊が理想だ。朝湯、昼湯、夕湯、そして夜湯。温泉には、一日のうちに四つの表情がある。翌朝、6時前に目を覚まし、まだ薄暗い湯船に身を沈める。夜明け前の温泉は、生まれ変わるような産湯の感覚。新しい一日が、肌の奥から静かに始まっていく。

別府温泉保養ランド(紺屋地獄)の温泉分析書

別府温泉保養ランド(紺屋地獄)の温泉分析書

  • 泉質:単純酸性泉(低張性・酸性・温泉)
  • 泉温:39.9℃
  • 浴槽:石
  • 種類:露天
  • pH値:2.6
  • 湧出量:測定不能
  • 湯の色:乳白色、白濁
  • 成分総計:664mg

メインの泥湯(露天風呂)の温泉分析書。泉質は「酸性泉」。内湯のコロイド湯は「硫黄泉」なので、泉質が異なる。1mg以上で酸性泉になる「水素イオン」は2.5mg。
他には、100mg以上で「美人の湯」と呼ばれる「メタけい酸」が162mgと多く、保湿成分が豊富。泥湯の顔パックに偽りなし。

エヴェレストの泥湯

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