30歳まで関西人だった自分にとって、箱根駅伝は日本で最も退屈な正月行事だった。それが今や毎年、青山学院の応援に駆けつけているから、人間の好みほどいい加減なものはない。2019年5月23日。9時42分に乙女峠から金時山の頂上に立ち、箱根湯本までの尾根を縦走することに決めた。19キロの行程。名付けて「箱根クライマー駅伝」
本来は栗城史多さんの命日である21日に登るつもりだったが、大雨、強風、落雷。会社の有給をずらしてもらった。「箱根の坂は天下の険」と言われるが、外輪山に位置される金時山も同じ。険峻な岩場とイノシシの鼻のような山容から、昔は『猪鼻嶽(いのはなだけ)』と呼ばれた。ここは4年前に一度、登っている。
栗城史多さんが主催した親子登山のイベント。総勢50人以上は集まった。この時、うれしい出会いがあった。名前は忘れたが、体に障害のある小学6年生の男の子、彼は医者を目指しており「お兄ちゃんが山で怪我をしたら、僕が治してあげるね」と言ってくれた。今はお医者さんを目指しているだろうか。そんな縁のある山なのだが、狭い急峻な登山道に軍団が大挙するから大渋滞は避けられない。前に進まず、イライラだけが募り、嫌いな山の一つに数えてしまった。今回は、そのリベンジもあった。
6時35分、バスタ新宿から小田急バスで乙女峠へ。2時間以上も揺られ、登山口に到着。平日、早朝、そして選んだ乙女峠は人気薄。道中、誰とも出会わずに55分で山頂を迎えた。4年前と何が変わったのだろう。山の楽しみ方が増えたわけではない。毎日、新宿の摩天楼に囲まれ、静寂への憧れが強くなったのは間違いない。大都会で暮らす者にとって、一番の贅沢は静寂。単独で登り、耳をすませば、山の鼓動が聞こえてくる。
山頂の金時茶屋で、『まさカリーうどん』900円を頂く。茶屋を去る際、金時娘のおかみさんが「食べてください」と、金太郎飴をくれた。山での一番のカンフル剤は、温かさである。金時山の天下の険を下ると、明神ヶ岳への尾根が現れ、5月の新緑が出迎えてくれる。
空中庭園を歩いているような浮遊感。天下の険を忘れさせる不思議な力があった。
11時45分、明神ヶ岳に到着。振り返ると金時山。奥には美しい箱根山が望める。
本来なら金時山と富士山の二人羽織が見えるようだが、富士山は雲の中。でも、この日に限っては、箱根山と金時山のみ眺望できるほうが良かったかもしれない。明星ヶ岳へ向かう途中、50代くらいの女性2人に「富士山は見えますか?」と聞かれた。「雲の中です」と答えると、残念がっていた。芭蕉の句が浮かんだ。
「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき」
箱根の関を越えたとき、霧で富士山が見えないほうが面白いと詠んだ句。そうだ。富士山は目でなく心で見るもの。ここからは樹林帯のアップダウンが続き、明星ヶ岳を越えて13時25分に塔ノ峰に到着。途中の車道では、女性2人が車を停め「乗って行かれますか?」と声をかけてくださった。
お言葉に甘えたかったが、ここが山行のつらいところ。4時間54分、箱根クライマー駅伝を完登し、箱根湯本の温泉の発祥である『和泉館』で汗と疲れを流した。
泉質はアルカリ性単純温泉なので、普通のお湯。ただし歴史がすごい。箱根温泉の開湯は738年(奈良時代の天平10年)。釈浄定坊が発見した「惣湯」が湯元とされる。この源泉を和泉館は使っている。かの北条早雲も浸かりにきた。寒い正月、箱根駅伝を終えた青学のランナーたちも足を休めに来てほしい。