湯遊白書〜そこに温泉があるから

ここは天国かい?いや、温泉だよ。日本、アジア、世界の温泉を巡って紹介します。

フェリー温泉「みやざきエキスプレス」

フェリー温泉「みやざきエキスプレス」〜温泉への目覚め

高校生になるまで𠮷野家の牛丼も食べ切れないほど少食だった。おまけに偏食で魚や寿司を好きになったのは大学生。奈良盆地で育ち、視覚も味覚も海を知らない少年時代を過ごした。京都で一人暮らしを始めるまでは野菜も食べず、食卓はご飯、麺類、肉。母親は楽といえば楽だが、大の料理好きにとっては作りがいがなかっただろう。大学までは風呂嫌いで、小学生の頃は田んぼで野球、汗だく泥だくでもそのまま寝る。電車通学になった中学生から我慢して風呂に入るようになったが、休みの日は入浴しないときもあった。

温泉を好きになったのは大学生、それも卒業間近。きっかけはタイガー・ウッズの来日。大阪南港から今はなきフェリー「みやざきエキスプレス」で宮崎に向かい、することがないから風呂でも入るかと浸かった湯で人生が変わった。

大浴場のなんでもない舟風呂、まず温度がいい。熱々の湯は長く入れない。温泉はぬるめの燗がいい。波で船体がゆらゆら。浴槽もゆらゆら。スワリングしたワイングラスに浸かっている気分。

なんというエクスタシー。「バスの揺れ方で人生の意味がわかった」とスピッツは歌ったが、こっちは風呂の揺れ方だ。宮崎に着くまで3回も入った。ここは天国かい?いや、フェリーだよ。その日から温泉の虜になった。

31歳で登山をはじめてから数えきれない山の湯に浸かったが、今でも山より海の湯に憧れがある。稲村ジェーンの舞台『稲村ヶ崎温泉』は海に沈む夕陽と富士山のシルエット。湯光明媚な黄昏が明日を迎えに来てくれる。来月は別府温泉につかる。どんな湯だろうか。

自由気ままな奈良の故郷はエデンの園だった。あの日、楽園の垢をフェリーの湯は洗い流してくれた。水平線の彼方に理想郷があるのではなく、水平線を眺める場所にユートピアはある。アダムとイヴも追放されたのではない。海の見える街を目指してエデンの東に向かったのだ。

みやざきエキスプレス

2022年4月まで宮崎カーフェリーが運航していたフェリー。マリンエキスプレス時代に高千穂丸の代船として三菱重工業下関造船所で建造され、1996年12月2日に大阪~宮崎航路に就航した。新造船「フェリーたかちほ」就航に伴い、2022年4月14日神戸発便をもって引退。引退後はインドネシアに売却され、「 DHARMA FERRY V」として運航している。これからもフェリー温泉は、入浴への覚醒者を生み出すだろう。